畝さんと治一郎との出会いは、販売の仕事を通してのことでした。
九州初出店の福岡店で働くため、研修でバウムクーヘンを口にしたときのことを、今でもよく覚えていると話します。
「こんなにおいしいバウムクーヘンは初めて!って、正直、驚きました。これを自分が売れるなんて、すごいお仕事だなと」。
それまで保育や調理の仕事に携わってきた畝さんにとって、販売は初めての経験。それでも、お客様と直接言葉を交わし、反応を受け取れる仕事は、自分に合っていると振り返ります。
「治一郎で働いている自分がすごく好きだなって思えたんです。そう感じたのは初めてのことでした」
そう屈託ない笑顔で話す畝さんですが、実はもともと、他人とは距離を取るタイプだったと言います。
「人づきあいをするのが苦手だったんです。それを変えてくれたのが夫でした。彼は本当に人と話すのが好きで、相手の話をよく聞くし、自然と会話が広がっていくし、友達も多い。そんな姿をそばで見ていて、人と関わるっていいものだなと思うようになったんです」。
ご主人の姿から受け取った感覚を大切に、畝さんは治一郎で働き始めました。
得意なことを伸ばし、自信に変える
2年後には店長となり、シフト管理や売り場づくり、在庫の確認やスタッフの様子を見るなど、さまざまな業務を担います。働くスタッフは年齢も、経験もさまざま。それぞれの得意なことを伸ばすように心がけていると言います。
「試食の声かけが上手、商品を売ることが好き、梱包が特別美しいとか、それぞれの良さがあります。得意なことを伸ばすと自信を持てるようになりますよね。自信が持てれば自然と楽しそうな雰囲気が出て、お客様がお店のファンになってくれるんじゃないかと思って」。
畝さんは、治一郎の味に自信を持っています。このおいしさ知ってもらうには、まず、手に取ってもらうことが必要。そのためには、気持ちのいい接客こそが肝要だと考えてのことでした。
「商品の価値を上げるのも、逆に下げてしまうのも私たちスタッフなんです」。そう考えるようになったのは、以前、失敗を経験していたからでした。スタッフへの伝達がうまくいかず、商品に同封するカードが入れ替わってしまったことがあったのです。
「私たちのミスで、お客様をがっかりさせてしまうことになり、絶対に二度とこんな失敗をしてはいけないと肝に命じました。梱包前のダブルチェックを徹底するようにし、とにかく確認の目を増やす工夫を取り入れました。接客の大切さが身に染みた出来事だったんです」。

スタッフ一人ひとりに心を配る
さらに心がけているのは、スタッフの変化に気をつけること。
声のトーンや表情、動き方。小さな違和感を見逃さないようにし、無理をしていそうだと感じたら、自分から積極的に声をかけるようにしています。
「スタッフは10代から50代まで幅があるので、壁をつくらずに話しやすい空気をつくっておきたい。学生だから、ベテランだからということは考えず、とにかくよく話して情報を共有できるように気をつけています」。
シフトの時間がずれて入れ替わるスタッフ同士は、あまりコミュニケーションが取れないこともあります。そんなときは、畝さんが間に入って伝えることも。
「使いやすく整えてくれたり、注意事項をわかりやすくメモしてくれたりしたことは、『○○さんがこれやっておいてくれたんだよ、助かるよねー』と、さりげなく伝えています。そうすると、会えなくても存在を意識し合えるし、お互いを思いやったチームワークができるんじゃないかと考えています」。
おいしさから力をもらって
話を聞いていると、畝さんがいかにコミュニケーションを大切にしているかが伝わってきます。これは、冒頭に話してくれた通り、ご主人から教わったという人とのつながりに対する想いがあるからこそでしょう。
実はスタッフやお客様との対話を続けつつ、店長として手応えを感じながら働き続けていましたが、ご主人が6年前に病気で他界してしまいます。お子さんたちはまだ小学生でした。
「いちばんつらかったのは、子どもが熱を出したときや、自分が体調不良になったときに『この子たちの親は、私ひとりなんだ』と強く感じること。でも、子どもたちと助け合いながらやってきましたし、店でもスタッフが支えてくれて本当にありがたかったです」。
ご主人が亡くなって2週間後には店頭に戻って接客をしていたそうで、お客様にも助けられたと振り返ります。
「お菓子を選んでいるお顔って幸せそうですよね。それを見ているだけでも元気になれましたし、『この前買ったお菓子、おいしかったよ』『手みやげで渡したらすごく喜んでくれたのよ』という言葉に、こちらまで幸せな気持ちになれてやりがいを思い出しました。心から、この仕事をしていてよかったな、と。今は、治一郎が誰かに寄り添える場所になれたらと思っています。幸せなときも、辛い思いをしているときも、ここに来ればおいしくてやさしいお菓子があることを思い出してもらえたらいいな、と」。
最後に、畝さんが宝物として見せてくれたのは、子どもたちからプレゼントされたというキーホルダーでした。
「夫が亡くなった後の結婚記念日に、初めて自分たちのお小遣いで買ってくれたもの。私に内緒でね。夫と色違いなので、一つは仏壇に、一つは私が肌身離さず持っています」。
そう話す畝さんの明るい笑顔の奥には、これまで過ごしてきた時間と、向き合ってきた人が積み重なっています。その笑顔のまま、大事なキーホルダーを胸に、今日もきっと店頭に立ってお客様を迎えているに違いありません。
