手でこね、水を加え、生地の表情を見極め、焼き上げる。パンづくりのすべての工程を、手と身体で覚えてきた小野和幸さん。18歳でこの世界に入り、61歳の今も現場で手を動かし続け、パン職人として一途に歩み続けてきました。
「もともと手を動かして作ることが好きだったので、料理人になろうと思って、食品科学科のある高校に進みました。さまざまな実習をするなかで、初めて自分で焼いたパンが、衝撃的なおいしさだったんです。あれはうまかったなぁ」。その味が忘れられず、小野さんはパン職人として就職を決めます。
「負けたくない」一心で食らいつく
地元の熊本から大阪へ出て、とある店で働くことになりました。まだ暗い早朝からの勤務です。
「きつかったですね。当時は朝早いだけじゃなく、夜も遅くまで働くのが当たり前でしたから。それでも先輩に負けたくないという気持ちで、必死に食らいついていきました」
現場で働きながら技術を身につけ、合間に本を読んで知識を覚え、パン職人としての腕を磨いていきます。
当時、よく手にしていた本『新しい製パン基礎知識』は、今でも大切な存在。「入社した時に配られた一冊で、あらゆる知識が詰まっています。感覚でやりがちな作業も、言葉と数字で解説されているのでわかりやすいんです。新人のころは理解できなかったことも、5年後や10年後に読むと『なるほど』と発見もあります。自分の勉強はもちろんですが、後輩ができて教える立場になったときにも頼りになりました。まわりにあげてしまうこともあって、今はこれが3冊目です」。
やがてパンを焼く仕事に加え、店の運営や新商品の開発も手がけるようになっていきます。
「月に一度の会議で3品の新商品を提案しなければならなくて。普段の業務をこなしながら、3品も完成度の高いものを生み出さなくてはなりません。これにはめちゃくちゃ鍛えられました」と振り返ります。
その後、他社に転職してからも、パンを焼くかたわら、新店舗の立ち上げなどに携わりました。製パンでは唯一の国家資格である「パン製造技能士」1級の資格も取得し、40歳を前にした頃にさらなる学びを求めてへ転職します。

いい材料を活かした商品開発
当社では、それまで社内で受け継がれてきたパンを焼くだけでなく、ラスクなど新商品の開発も担当することになりました。現場では、驚きの連続だったと話します。
「上質な材料を好きなように使っていい、と。もちろん、お客様の買いやすい価格は頭に入れていますが、厳しい原価計算もなし。それは他部署が考えてくれるんです。私はとにかく『おいしいパンを焼くこと』に集中して開発ができる。なんてありがたい環境なんだろうかと、今でも思います」
たとえば、価格をおさえるためにマーガリンを使いがちな商品でも、フレッシュバターを取り入れたり、乳脂肪分の高い生クリームを使ったり。何よりも「おいしいものを届けたい」という気持ちを優先していることがわかります。
自分の感覚とまわりの意見を大切に
開発するなかで小野さんが大切にしているのは「まわりの反応」だと言います。
「まず自分がおいしいと納得できるものを作るのが大前提。そして、必ずまわりのスタッフや家族に食べてもらって、感想を聞きます。それらの意見をまとめて、配合や工程を見直しながらさらにブラッシュアップしています」。
もともと新しいことに挑戦するのは好きだという小野さんですが、それでも時間の制限や責任の重さを感じることも当然あります。「いい材料を使わせてもらっている以上、それを生かせる配合や工程を考えなければなりません。それに、工場のスタッフ全員が無理なく作れるレシピが必要。腕の見せ所ですね。だからこそ、商品化された時は、とびきりうれしいです」
また、新商品に限らず、焼き上がったパンを試食するのも大切なこと。同じレシピでも気温や湿度などの状況によって、焼き上がりが変わるためです。
「特にフランスパンは、小麦粉、塩、イースト、水だけという基本的な材料だけで焼くので、顕著に違いが出ます。本当においしく焼き上がったフランスパンは、口に入れるだけで溶けるんです。私は焼き立てにバターを塗って食べるのが大好きです」と嬉しそうに教えてくれます。
技術と知識を後輩に残していきたい
パン職人として歩んできて40年以上。小野さんは4年後には定年退職を迎えます。「それまでに後輩をたくさん育てていきたいと思っています。技術を受け継いでいかなければなりませんから」。
たとえば「パン・ド・ミー」という商品。これは先代からレシピを受け継いで焼き続けているもので、小野さんが長年担当してきたパンでもあります。「配合の関係から機械を通さずに、手作業で焼き上げなければなりません。このおいしさを守って、必ず次へ繋げていきたい商品のひとつです」。
後輩とのやりとりで大事にしているのは、見守ること。悩んだり迷ったりしていても自ら声はかけずに、聞かれたら答え、頼られれば力を貸します。「まずは自分でやってみて疑問や悩みを見つけてほしい。そのために最近は、後輩に任せる部分も増えてきたんです。今まで自分だけで背負ってきたものを少しずつ手渡すようにしています。おかげで、肩が軽くなってきました」。
鍛錬してきた技術、積み重ねてきた知識。小野さんが大切にしてきたものは、後輩たちのなかに確実に息づいているはず。店頭に並ぶ数々の商品が、その証です。
